キスカ島守備隊の視点で見る撤退作戦

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キスカ島撤退作戦(キスカとうてったいさくせん)

1943年(昭和18年)7月29日に行われた日本軍の北部太平洋アリューシャン列島にあるキスカ島からの守備隊撤収作戦のことである。キスカ島を包囲していた連合軍に全く気づかれず日本軍が無傷で守備隊全員の撤収に成功したことから「奇跡の作戦」と呼ばれる。

この奇跡の撤退を実際に守備隊側からの視点で記録した体験談がありましたので、ここに記録します。 “キスカ島守備隊の視点で見る撤退作戦”の続きを読む

大平炭鉱病院事件

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樺太大平炭鉱病院殉職看護婦慰霊碑

碑文

「太平洋戦争末期の昭和二十年八8、樺太はソ連軍の突然の参戦で大混乱となった。恵須取町大平地区も十六日未明の空襲で住民は一斉に避難した。炭鉱病院看護婦二十三人も夕刻になって避難を始めたが、途中の武道沢でソ連軍に退路を断たれ、最悪の事態を予測した高橋婦長らは、十七日未明に集団自決を図り六人が絶命した。あまりにも悲しい事件であった。 “大平炭鉱病院事件”の続きを読む

文化露寇

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文化露寇(ぶんかろこう)

文化3年(1806年)文化4年(1807年)にロシア帝国から日本へ派遣された外交使節だったニコライ・レザノフが部下に命じて日本側の北方の拠点を攻撃させた事件。事件名は日本の元号に由来し、ロシア側からはフヴォストフ事件とも呼ばれる。 “文化露寇”の続きを読む

葛根廟事件

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葛根廟事件(かっこんびょうじけん)

1945年8月14日 満州国興安総省の葛根廟(現在の中華人民共和国内モンゴル自治区ヒンガン(興安)盟ホルチン右翼前旗葛根廟鎮)において日本人避難民約千数百人9割以上が婦女子)がソ連軍によって攻撃され、1,000名以上が虐殺された事件。 “葛根廟事件”の続きを読む

三船殉難事件

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三船殉難事件(さんせんじゅんなんじけん)

第二次世界大戦末期(日本の降伏文書への調印予告、および軍隊への停戦命令布告後)の1945年(昭和20年)8月22日 北海道留萌沖の海上で樺太からの婦女子を主体とする引揚者を乗せた日本の引揚船3隻(小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸)がソ連軍によるものと見られる国籍不明の潜水艦からの攻撃を受け、小笠原丸と泰東丸が沈没して1,708名以上が犠牲となった事件を指す。三船遭難事件とも呼ばれる。 “三船殉難事件”の続きを読む

真岡郵便電信局事件

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真岡郵便電信局事件(まおかゆうびんでんしんきょくじけん)

『交換台にも弾丸が飛んできた。もうどうにもなりません。局長さん、みなさん…、さようなら。長くお世話になりました。おたっしゃで…。さようなら』

太平洋戦争末期の樺太の戦いで、真岡郵便局の電話交換手が集団自決した事件である。当時日本領だった樺太では、ソ連軍と日本軍の戦闘が、1945年8月15日の玉音放送後も続いていた。真岡郵便局の電話交換手(当時の郵便局では電信電話も管轄していた)は、疎開(引き揚げ)をせずに業務中だった。8月20日に真岡にソ連軍が上陸すると、勤務中の女性電話交換手12名のうち10名が局内で自決を図り、9名が死亡した。真岡郵便局事件、また北のひめゆり(事件)とも呼ばれる。 “真岡郵便電信局事件”の続きを読む

樺太の戦い

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樺太の戦い(からふとのたたかい)

太平洋戦争/大東亜戦争末期の1945年(昭和20年)8月11日から8月25日にかけ、日本の内地であった樺太南部で、日本とソビエト連邦の間で行われた戦闘である。

1945年8月9日に対日参戦したソ連は、8月11日に南樺太の占領作戦を開始した。その目的は南樺太の獲得と、次に予定された北海道侵攻の拠点確保だった。ソ連軍は北樺太から陸上侵攻する歩兵師団・歩兵旅団・戦車旅団各1個が攻撃の中心で、補助攻勢として北太平洋艦隊と歩兵旅団1個による上陸作戦が実施された。日本軍は、歩兵師団1個を中心に応戦し、国境地帯ではソ連軍の拘束に成功した。 “樺太の戦い”の続きを読む

北方領土 南樺太(みなみからふと)

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樺太(からふと)、樺太島(からふととう) ロシア語: Сахалин サハリン、サハリン島は、ユーラシア大陸の東方 、オホーツク海の南西部にあるロシア連邦サハリン州の島。広義の日本列島に含む場合もある。南北約948km 東西の幅最大約160kmで南北に細長い。面積76,400平方kmは世界第22位で21位の北海道(78,073平方km)より若干小さい。人口約50万人。最大都市はサハリン州の州都でもあるユジノサハリンスク(人口約18万人) “北方領土 南樺太(みなみからふと)”の続きを読む

占守島の戦い

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占守島の戦い(しゅむしゅとうのたたかい)

太平洋戦争終戦後(もしくは終戦準備・戦闘停止 期間中)の1945年(昭和20年)8月18日 – 21日に、千島列島東端の占守島で行われたソ連労農赤軍と大日本帝国陸軍との間の戦闘である。ポツダム宣言受諾により太平洋戦争が停戦した後の8月18日未明、日ソ中立条約を一方的に破棄(8月9日)したソ連軍が占守島に奇襲攻撃、ポツダム宣言受諾に従い武装解除中であった日本軍守備隊と戦闘となった。戦闘は日本軍優勢に推移するものの軍命により21日に日本軍が降伏し停戦が成立、23日に日本軍は武装解除された。捕虜となった日本兵はその後大勢が法的根拠無く拉致され、シベリアへ抑留された。鬼畜の所業 “占守島の戦い”の続きを読む

アッツ島の戦い

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アッツ島の戦い(アッツとうのたたかい)

Battle of Attu は、1943年(昭和18年)5月12日にアメリカ軍のアッツ島上陸によって開始された戦闘である。山崎保代陸軍大佐の指揮する日本軍のアッツ島守備隊は上陸したアメリカ軍と17日間の激しい戦闘の末に玉砕した。 “アッツ島の戦い”の続きを読む