東アジア反日武装戦線 在日朝鮮人の悪

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東アジア反日武装戦線(ひがしアジアはんにちぶそうせんせん)は、1970年代に三菱重工爆破事件など連続企業爆破事件等の爆弾による武装闘争を実行した日本の武闘派左翼テロリストグループ。反日亡国論アイヌ革命論などを主張。

管理人:酒から御挨拶
Twitterでの140文字に限界を感じ、ブログに戻ってまいりました(引き続きTwitterではリンク記事中心に活動してまいります)ここでは、難解な記事より核心部分を搔い摘んで記事にしていきます。詳しく知りたい方は文中からのリンクを参照してください。それでは宜しくお願いいたします。

法政大学Lクラス闘争委員会
1970年春、大道寺将司法政大学文学部史学科在学中に結成した「Lクラス闘争委員会」が源流である。「Lクラス」は大道寺が所属していた大学のクラスのことで、党派的にはノンセクト・ラジカルに分類される。大道寺が他学科の哲学科や国文科(現在の日本文学科)にも参加を呼びかけた結果、一時は百数十名にも膨れ上がった。

研究会
大道寺とLクラス闘争委員会の主要メンバーが中心となって、1970年8月に「研究会」を旗揚げした。この「研究会」では、「日本帝国主義」が※アジアで行ってきた「悪行」について集中的に学習し、過激な反日思想を醸成させていった。その背景として同年7月7日に出された華僑青年闘争委員会の新左翼各派に対する「決別宣言」から受けた衝撃が大きかった。当時の学習資料として朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』などの書籍が使われた。そして、反日運動のために武力闘争を展開しなければならないという考えに収斂されていった。同年11月には大道寺の同級生で、当時星薬科大生の大道寺あや子が加わった。 1971年1月には、初の自家製爆弾の実験を行うようになる。

※この事件の根源はこの人物に隠されています。朴慶植は在日朝鮮人史に関する多くの本を書いた在日朝鮮人一世の歴史家。つまり、この在日朝鮮人が掘り起こしてきた悪意に満ちた一方的な言い分で、反日武力闘争へと誘導したのである。今後いかなる教育機関にも朝鮮人を関与させてはならない:酒
参考:朴慶植: 青丘文庫月報/127号(1998年3月3日)

カンパニア闘争の開始
まず手始めに、大衆に訴えるカンパニア闘争の一環として、「日本帝国主義」の象徴となるものを爆破することになった。
興亜観音・殉国七士之碑爆破事件(1971年12月12日)
総持寺納骨堂爆破事件(1972年4月6日)
風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件
(1972年10月23日)
これら三つの事件の後、本格的武装闘争に移行することになった。

東アジア反日武装戦線の誕生
1972年12月、「東アジア反日武装戦線」という名称が決まった。この名称は、全ての反日主義者が共同で使うべきものという認識から、「自分たちのグループ」を表す名称が別途必要であった。彼らは、孤高の存在というイメージから、グループ名を「狼」とした。

1973年は、小冊子『腹腹時計』の執筆、出版に着手した(翌年2月に刊行)。
腹腹時計』 (はらはらとけい)とは、1974年3月発行の爆弾の製造法やゲリラ戦法などを記した教程本で、三菱重工爆破事件などの連続企業爆破事件を起こした日本の極左グループである東アジア反日武装戦線の狼班が地下出版したものである。『腹腹時計』では日本の一般大衆を「日帝本国人」と規定し、「反日闘争」に加担しない日本の一般大衆を「日帝」の成員として断罪した。また日本帝国主義と非和解的に闘う、真の革命的主体は山谷、釜ヶ崎、横浜寿町などの流動的下層労働者だとも述べた。公然組織を持たない純粋な地下秘密組織であり、市民社会からの支持は、考慮していなかった。

1974年8月14日、昭和天皇が乗車したお召し列車を、鉄橋もろとも爆破しようとした(虹作戦)。しかし、決行直前に人に見られたため未遂に終わった。翌日韓国において、朝鮮総連メンバーの文世光が時の大統領朴正煕を暗殺しようとした事件が発生していた(文世光事件)。「狼」は、文世光に呼応するために新たな作戦に着手する。

同年8月30日、三菱重工業東京本社ビルで爆弾を破裂させ、8名が死亡、376人が負傷した(三菱重工爆破事件)。これをきっかけに新たに「大地の牙」「さそり」のグループが合流し、翌年5月まで連続企業爆破事件を起こす。多数の死傷者を出すに至った三菱重工爆破事件後に出された犯行声明では、「爆死し、あるいは負傷した者は、無関係の一般市民ではない。植民者である。」と「爆破作戦」を正当化した。

1975年5月19日、主要メンバー7名(大道寺夫婦・佐々木・益永・斎藤・浴田・黒川)と協力者の看護学生1名が逮捕された。斎藤和は逮捕直後に自殺した。また協力者の看護学生の姉及び別の協力者も自殺している。一斉逮捕を逃れた宇賀神寿一桐島聡は全国指名手配となったが、1982年7月に宇賀神は逮捕された。

後年、「狼部隊」の実質的リーダーであった、大道寺将司はアイヌの支援者に宛てた手紙の中で、「虹作戦」に頓挫し、消尽と無力感を痛切に感じていた「狼」メンバーたちは朴正煕暗殺の実行者であり、韓国の獄中にある在日朝鮮人・文世光に「事実行為」で連帯し、一刻も早く呼応しなければならないとの焦りから、「虹作戦」で使用されなかった、威力が甚大な荒川鉄橋爆破のための爆弾を流用し、爆弾を建物ではなく、歩道に設置するといった杜撰な作戦計画を実行してしまったと総括した。

企業への爆破

その後
主要メンバー逮捕後に宇賀神寿一桐島聡全国指名手配されるも逃亡し、残党化する。その後、新左翼活動家の加藤三郎らが残党を名乗る新グループによって神社本庁爆破事件などの爆破事件が1977年11月まで続いた。

裁判中、1975年8月に日本赤軍によるクアラルンプール事件で佐々木規夫が超法規的措置で釈放し逃亡。また1977年に日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件で大道寺あや子と浴田由紀子が超法規的措置で釈放され、国外逃亡した。逃亡した3人は日本赤軍に合流した。

連続企業爆破事件
List

宇賀神 寿一(うがじん ひさいち、1952年12月28日) 東京都出身のアナーキズム系新左翼活動家。東アジア反日武装戦線「さそり」部隊の元メンバー。現・救援連絡センター事務局員。愛称は“シャコ”。 明治学院東村山高等学校時代から部落解放運動・在日コリアン問題に関わる。また、ベトナム反戦運動や三里塚闘争などにも参加する。
岐阜刑務所に13年間服役し、2003年6月11日に出所。

浴田 由紀子(えきだ ゆきこ、1950年12月19日) 元東アジア反日武装戦線“大地の牙”部隊のメンバー。同部隊リーダー齋藤和の内縁の妻であった。山口県出身。なお、「えきた」といわれることも多いが、本当の発音は「えきだ」である。1971年、学生運動とは無縁だったが、高校の同級生の逮捕をきっかけにその救援活動に入り、伊達政保らと知り合う。同年初夏に渋谷駅前でハンスト中の平岡正明らのテック闘争に遭遇し、斎藤和と出会う。程なくしてその年の秋、斎藤らと出かけた韓国への「学習旅行」が大きな契機となり、反日思想を醸成させていく。2015年現在は東京拘置所から栃木刑務所に移監され服役中。出所予定は2017年3月22日。

桐島 聡(きりしま さとし、1954年1月9日) 広島県出身のアナーキズム系新左翼活動家。1972年4月に明治学院大学法学部に進学。明治学院大学在学中に黒川芳正宇賀神寿一と出会い、東アジア反日武装戦線に「さそり」班として参加し、連続企業爆破事件に関与。主要メンバー7人が逮捕されたのを契機に逃亡。直後に指名手配される。現在も生死も行方もわかっておらず、東アジア反日武装戦線のメンバーの中で一度も逮捕されていない唯一のメンバーである。

左翼の活動家が活発化している現在、いまだ全面解決に至っていないこの事件を、あえて掘り返してみました。小中学校時代は至って普通の学生だったと思われます。教育環境や家庭から受けるちょっとしたきっかけで人生は大きく動いて行く、極端な話、本一冊の影響で人生が変わって行く、全く違う人生になってしまう。子を持つ私は、正直娘を大学へ進学させたくないとまで思ってしまう。このままじゃいけない。変えて行きましょう。

正直、今回読み返すまで、ここまで朝鮮人が関与した事件だとは思いませんでした。朝鮮人に出会わなければ、朝鮮に渡航しなければ。全く違った人生を歩んだことでしょう。全てを朝鮮人のせいにする訳ではありませんが、間違いなく朝鮮人の影響を受けて発生した大事件だったのです。いや、いまだ解決に至っていない事件なのです。

それと、犯人の一部は既に出所、または時期出所、逃走中です。次の事件に発展しない事を切に願います。:酒

“東アジア反日武装戦線 在日朝鮮人の悪” への 1 件のフィードバック

  1. えっ⁉️ と思う事があり、まだまだ分かっていないと思いました。関わってはいけない国なのに関わってしまった日本を憂います

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