阿頼度島(あらいどとう)

Atlasov

阿頼度島(あらいどとう)
千島列島の最北端に位置する火山島である。 ロシア名はアトラソフ島 (остров Атласова) 英語表記は Atlasov
島の名前の由来は、アイヌ語の アウ・ライト(噴火口の内が地獄のようにどろどろに溶けた溶岩の溜池)から。ロシア名は、18世紀の探検家であるウラジーミル・アトラソフの名前に由来する。

地理
全体的に円形の島であり、阿頼度山(あらいどざん) 海抜 2,339 m ロシア名:アライト山 влк.Алаид 英語表記:Alaid が聳える火山島である。千島列島の山で最も高く、かつ最北端に位置する。また、その秀麗な山容から一名を阿頼度富士ともいう。なお、阿頼度山は3つの山から成り、北から順に東岳(海抜:阿頼度山に同じ) 中岳(海抜不明) 西岳(海抜 2,289 m)となっている。
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「火山島」というだけあり、阿頼度山は1770年に噴火が記録されて以降、直近の1996年までに数年から数十年という間隔で何度も噴火を繰り返しており、特に1790年と1981年のものは全千島列島でも最大級の噴火であったといわれる。Alaid

なお、別名である「親子場」の由来は(島の列の外側に有って頭のような島)からである。この由来が差す「島の列の外側」とは、千島列島の列から外れた西側に阿頼度島が存在するためである。

島の平地は草や枯れた木があり、黒い砂などが露出している。所々にはアイザワソウやアライドヒナゲシが見られる。標高が 300 – 700 m になるとミヤマハンノキやハイマツが密生している。なお、ミヤマハンノキの林の中には旧日本軍が掘った塹壕があり、総延長は 12 km に及ぶ。丘には砲台の跡が残っている。

1933年から1934年にかけ、海底火山が噴火。島の東側に新たな島が形成され、発見者である農林省監視船船長の苗字から武富島(たけぶじま)と命名されている。島に入るためにはロシア人のガイドが必要で、一歩間違えると火山性のガスを吸い込んでしまうことも有り得る。

歴史
1651年(慶安4年) 正保国絵図のため松前藩が提出した地図に、「ヲヤコハ」の名がある。正保国絵図

1855年(安政元年) 日露和親条約によって、日本とロシアの間で、ロシアの領土であることが一旦は確定された。
日露和親条約原文

1875年(明治8年) 樺太千島交換条約の締結により、千島列島全体が日本の領土になった時からサンフランシスコ講和条約によって樺太・千島の領有を放棄する時までは、この島の「最北埼(北緯50度55分30秒・東経155度32分)」が文字通り日本の最北端であった。当時は北海道の山の最高峰が阿頼度山でもあった(現在は大雪山である)

1959年(昭和34年) 国境警備隊と国籍不明の人物が交戦し、隊長が戦死。上陸こそ阻止したが、その人物は服毒自殺を図った。現在ロシア国境軍は、駐留しておらず、隊舎や監視塔の廃墟が残っているのみである。

※上記以外の歴史は、北方領土の歴史を参照

阿頼度島の自然1

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